マインドフルネス

お久しぶりです!

長らく投稿していませんでしたが、投稿してない間にも少なからず閲覧数が上昇しており、それが励みになり投稿を再開しようと思います。(なんとも単純な!笑)

私が投稿していない間にそろそろ、研修医一年目も終わり、2年目の足音も近づいております。本日、医師国家試験が終了し、遂に後輩が出来る日も近いということです。何やら先輩としてできることはあるのかと。そんな気負いはせず、日々過ごしていきたいと思います。

と、そろそろ本題に。

幸福をアップデートせよ!

先日、落合陽一さんの「Weekly Ochiai」で『幸福をアップデートせよ』を視聴しました。

そこで、特に印象に残っているのは落合陽一さんが以下のように言っていたことです。

幸福をアップデートするには環境要因を変えるか、判断基準を変えるかのどちらか。

具体的に説明すると、私は多少コーヒーを嗜む方なのでスタバのコーヒーはあまり美味しいとは感じません。どちらかというと、場所代を支払うくらいの気持ちでコーヒー代を支払っています。

ですが、人によってはスタバのコーヒーを美味しく感じる人もいるはずです。

人によって、その同じ行為でも幸福の捉え方は異なります!

どういうことが言いたいかと言うと、環境要因のスタバのコーヒーは揺るぎの無い事実として変化させることは難しいですが私自身のスタバのコーヒーの判断基準スタバのコーヒーを取り巻くその他の環境要因は揺るがすことができるかもしれない。

つまり、まず、不味いと思って飲むより本当に美味しいと言い聞かせて飲むと少しばかり幸福度が上がるかもしれない。スタバで友人と楽しく飲む場合は幸せに感じるかもしれない。綺麗な店員さんを眺めながら飲めばより幸せでしょうと、同じ行為でも捉え方や環境要因によって幸福度は異なります。

最近は人生を楽しく、幸せに生きるには物事を相対的に捉える力が重要なのではないかなと感じています。

まあそんなことは私が考える前に色んな先人が既に気づいています。

私の好きな老子の言葉を紹介させてください。

たかの知れた社会なんだ

ぼくらはひとに

褒められたりけなされたりして、びくびくしながら生きている。

自分がひとにどう見られるかいつも気にしている。

しかしねそういう自分というのは本当の自分じゃあなくて、社会に関わっている自分なんだ。

もうひとつ天と地のむこうのタオ『道』につながる自分がある。

そういう自分にもどれば人にけなされたって褒められたってふふんという顔ができる。

社会から蹴落とされるのは怖いかもしれないけれど。タオ『道』から見れば社会だって変わってゆく。

だから大きなタオの働きを少しでも感じればくよくよしなくなるんだ。

たかの知れた自分だれど社会だって、たかの知れた社会なんだ。

もっと大きなタオ『道』のライフに繋がっている自分こそ大切なんだ。

そのほうの自分を愛するようになれば世間からちょっとパンチをくらったって平気になるのさ。

だってタオ『道』に愛されてる自分は世間をきにしてびくつく自分とは別の自分なんだからね。

社会の駒のひとつである自分はいつもあちこち突き飛ばされて前のめりに走ってるけれで、そんな自分とは違う自分がいると知ってほしいんだ。

老子『タオ』

この詩でも言われているように、アリストテレスの言葉を借りると我々人間は「社会的動物」です。そして、社会に関わっている自分は相対的に捉えることで幾分にも変化させることができる。自分と社会と密接にくっつけているボンドのようなものを一度融解して物事を見ることが出来ればどんなに楽になるのだろうかと思います。

そのような状態に至るにも瞑想、つまりマインドフルネスが最適なのではないかと考えます。

最も想像力が高まる瞬間、それは「何も考えずに、心に空白があるとき」と様々な研究でも証明されています。

最近では、世界的に「マインドフルネス」ということが流行っていますが、これは創造性を生み出すだけではなく、自分の生き方そのものに直結する思索そして主体的行為です。

次の記事は主体的行為とは。

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