価値判断の地図を作る

雲ひとつない良い天気。北陸には珍しい晴れ模様。

 日々臨床をしていると、晴れ模様ばかりではなく、曇り空のような悩み、葛藤、もやもや感が多めの北陸の天気のように移り変わることが多い。それらを言語化して、自分が何にもやもやしているのか分析するとよいと、指導医の先生がアドバイスを下さった。

 今日、総合診療医の専攻医となり、専門医を取得するには各課題のポートフォリオというものを作成しなければならず、日々の意識化が明日の自分を作るのだと、日記にも残している。

 

 話は少し変わり、昨日、一昨日と、『好きこそものの上手なれ』『好きなことがわからない』と題して、話を展開してきた。

 それに補足として今、読書中のデイヴィッド・ブルックス著『あなたの人生の科学』の議論を紹介したい。

 我々の意思決定はきっぱりとしたものではなく、人間は絶えず迷い、揺れ動く存在である。過去一世紀くらいの間、人間の意思はいずれかの時点で固まるもの、と考える人が多かった。まず多くの情報を集めて状況を把握し、ある程度「これでいい」という確信が得られたら、決心をする、そんなふうにとらえるのが一般的だったのだ。

 従来の西洋的ではデカルト劇場のように心が飛行機でいう「機長」のようにコックピットに座り、意思決定をしていると考えられていた。それに対して、人間は絶えず迷い、揺れ動く存在であると結論付けられている。そして、さらに続く。

しかし、実はそれは正確ではない、むしろ、人間は時々の状況に応じて日和見的に進む方向を変える放浪者のようなもの、と言った方がいいだろう。同じ人間、同じ状況であっても、見方は刻一刻と変わっていき、それにつれて行動も変わるのだ。その過程で、脳は無数の価値判断をすることになる。その価値判断が蓄積されることで、いわゆる「目標」や「野心」、「夢」、「欲望」といったものが生まれる。行動全般がそれに左右されると言ってもいい。幸福で充実した人生を送れる人は、まず、その価値判断が適切な人である。また、価値判断の微妙な変化を敏感に察知できことが大切だ。

 好きなことが見つかる、好きだとわかるというのも、数多の価値判断を通じて得た経験による蓄積によるものであって、これすらも確固たるものでもなく揺らぎうる。しかし、大海原で北を示すコンパスがあれば幾分か役に立つかのように、ある程度自分の中での軸を持っておくことは有益だ。しかし、その北の方角も、自身が今いる立ち位置を移し替えると、全く頓珍漢な方角へ進んでしまう可能性をも孕んでいることを念頭に置くべきだ。

 どういう地に立ち、どんな図を描くのかが大切である。

 

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