教育に余白はいる??

OST-i

OST-iというコミュニティでZOOMを用いて隔週で雑談をしています。

コンセプトは思いのまま「さんでも」トークです。

「さんでも」というのは、だれでも、なんでも、どこでもという意味です。

 

先日は「教育」が大テーマで話し合いをしました。

更にその中で話し合いたい題材をピックアップして、各ブロックにわかれていきます。

私はそこで、「現行の教育システムの中で一つ変えるとしたら何を変える?」ということを扱いました。

「現行の教育システムの中で一つ変えるとしたら何を変える?」

 皆さんなら、何を変えますでしょうか??

 ここで私は高校時代には「余白」が足りないよなぁと感じました。

 部活に勉強に、そして遊びに全力で過ぎ去っていく高校時代が楽しいものだったかというと、、、、どうでしょうか。うん、確かに楽しさはあったが、中学時代よりは圧倒的に余裕がなく勉強・部活に打ち込むのが正義みたいな風潮がどこか重荷であったような気もします。

 高校生になると、進路を考える上で将来の夢、進学先、志望学部などを考えなくちゃならないが普通の高校生にはそこまで余裕がなく、何となくその人生までに出会った選択肢で選択をすることとなる。それってしかも、自身の意志だけではなく親から与えられるものや環境にかなり依存します。

 機会に恵まれない子供には何だか酷な世の中だよなと感じるのです。

 一昨日、中高生向きの留学説明会に留学経験者として登壇しましたが、中・高校生時代に留学が出来るかどうかは、自分の力というより、お金の意味で親からのバックアップがないとできません。それってすんごい恵まれたことなんですよね。

 話はそれましたが、、、

 どうやったら、「余白」が生まれたか。

学習指導要領って必要?

 思い返すと受験前に学校の授業で数学Ⅲや物理など充分に復習できるほど時間の無いまま駆け足で受験となりました。どれだけ先生が頑張ってくれても、公立高校ではそのような状況です。

 浪人時代に衝撃を受けたのは、都会の中高一貫校では授業は大体高校2年生時に終わってしまって、高校3年生のときは受験勉強のための演習がメインの授業となるそうです。浪人時代にそれを聞いたときには、「おまいら、浪人1年目とかいいながら、それって2年目じゃん」という気持ちになりました。

 やはり、公立高校では生徒もそうだし、先生もなかなか時間が無いんだなと痛感しました。そんな中、部活や放課後の質問、その他業務など本当にお疲れさまです。

そこで、「オンライン」授業登場!

 予備校時代の授業って楽しかったよな、と思い返すとそれは何故かというと先生自身がきちんとした報酬を貰っていて、恐らく教える業務に集中できることから、高校の先生よりは余白があるのではないかと思います。

 ある高校生も、オンライン授業の方が通常よりも倍速にしたり時間の節約が出来たり、繰り返し確認したり、自分のペースで学習できるから良いということを言っておりました。

 基礎的なところは一挙オンライン授業にして、普段の授業をアクティブラーニング形式にしたり、朝の登校を遅らせたり、部活を少し長くしたり、休みを増やしたり、オンラインによるメリットは生徒側だけではなく先生側にももちろんあるんじゃないかな。

 まあ、色々書きましたが、学校の先生に感謝です。

 

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