台北医科大学交換留学から1年

どうも!「華岡、研修医になるげんて」、略して「はなるん」の華岡です。

 

台北医科大学に1ヶ月臨床留学

 

昨年のちょうどこの時期、1ヵ月間、台北医科大学に臨床留学をしていました。

この時期になると、やけに台湾が恋しく思い出されています。

 

何とも言えない台湾の熱気や人々の暖かさ。全てがよい想い出です。

 

人生初めての一人での海外体験。そして、初めての臨床留学体験。初めての1ヶ月英語生活。

初めての男子寮。初めてのアジア圏の日本以外の国。初めてのANA以外の航空会社。

たくさんの「初めて」を台北医科大学の交換留学を通じて経験しました。

 

台湾と日本

 

 

台湾と日本の関係についてみなさん、考えたことはありますでしょうか?

 

恥ずかしながら、華岡は全く考えたことはありませんでした。

 

台湾が第二次世界大戦前に日本の統治下に置かれていたことは歴史の授業で習い、

うっすらと知ってはいましたが、

 

想像以上に色濃く日本の影響を街の至る所で感じることができます。

 

そして、世代によって台湾人が捉える日本像というのは変容していきます。

 

何よりも「絶対的な」親日ではなく当初は「相対的な」親日であったことを台湾に一か月滞在することで感じました。

 

「相対的な」親日国ー台湾

 

1ヶ月の実習期間中に様々な場所に行きました。

 

その中には、三峡、鶯歌では日本人が陶磁器の製造法を伝え、

台湾の建築や陶磁器の発展に貢献したと記されています。

 

現在、台湾に残る「日式」の老街は明治時代に日本が西洋から取り入れたレンガ造りの建築様式です。

日本人にとっての「日式」とは程遠いものです。

台湾には日本より明治時代の建築物が保存状態が良く保存され、町として機能し残っています。

 

また、台南に烏山頭にダムを建設し、荒れ地を農作地に換え、台南(当時の一番の都市部)の発展に多大なる貢献をしたと言われる金沢出身の八田與一もいます。

 

八田先生は台湾の教科書にその名を刻まれており、台北医科大学の学生で知らない人はいません。

 

その一方で、日本人に人気の九份やその九份の隣町・金瓜石では、日本人が台湾人労働者を熾烈な環境で働かせ、たくさんの犠牲者が出ています。

 

日本人がたくさん観光している九份の隣の金瓜石では日本人はひどいことをしたという美術館や記念碑が残されており、なんとも皮肉な状況です。

 

台湾にはこのように「色々な日本人」が垣間見えます。

英雄として崇められる日本人。その過去に目をつぶりたくなるような日本人。

本当に様々です。

 

このような日本人を見ている台湾人の日本人の捉え方は本当に人それぞれです。

 

具体的には、

 

日本統治時代の苦い経験を持つが、その後の国民党(戦後に中国からやって来た蒋介石をリーダーとする政党)の統治が残酷で相対的に日本が良かったなと感じる世代。

 

そのような父母を持ち、そのフィルターから日本を捉える世代。

 

さらに彼らの子供になると、戦前の日本統治は歴史として習い、親から聞きながら、純粋に日本のサブカルチャーに興じる現代の世代。

 

日本が台湾から東日本大震災のときに多額の義援金を貰って以来、

 

台湾ー日本の関係は一層深く、そして日本人にとっても身近な存在になっているように感じます。

 

そして、時代は「相対的な」親日から「絶対的な」新日へと変容してきているように感じます。

 

台湾というフィルター越しの日本

 

台湾といったフィルターを通じて見えてくる日本像というのは、日本を旅しているだけでは見えてこない角度があり、非常に興味深いものです。

 

九份に行ったなら、10分我慢してバスに乗って金瓜石に行ってほしいです。

そして、台湾のご飯美味しいだけではなく、さまざまな日本の残り香を感じる旅をしてほしです。

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