医学部を志望したのは環境かそれとも自分か?

 

どうも。春から研修医になりました華岡です。「総合診療医を目指してます」と言うと、

 

一般の方からは「総合診療医ってなに?」とか、

 

逆に医療者からは「え?何で総合診療科なん!?」とよく言われます。

ブログの初めなので、何故、医者を志したのか、そして何故、総合診療科を目指すのかを説明したいと思います。


 

年少期~中学

3歳のときにひいじいちゃんが亡くなりました。亡くなる前、病室に行くたびに、ひいじいちゃんは私に黒飴を与え、将来は医者になれということを3歳の私に向かって言っていたそうです。

実際に記憶に残っているのは美味しい黒飴を貰った事実だけ。。。

 

だが、3歳の華岡は「うん!医者になる!!」と返事をしていたそうです。

 

このことが後々の人生に大きな大きな影響を与えることとなります。。。

 

中学生の時に今でもお世話になっている塾長に「将来の夢はなんや!?」と問いかけられたのが、将来の夢というのを明確に意識し始めた最初の記憶です。

 

その当時絞り出した将来の夢は、料理人、ホリエモン、社長

 

今考えると、何かを生み出したい思いや、捉われた存在になりたくないという思いは変わっていないのかもしれません。

 

 

 

高校生時の衝撃の出会い

 

無事、志望校に合格し、完全に現を抜かしていました。

曖昧な記憶ですが、入学当時の成績は360人中50番とそこそこ。が、高校一年生の終わりには徐々に成績が下がりはじめて遂には、200番が目前に。

 

成績が振るわないことを環境のせいにしていた私は、塾に入れてくれるよう親に懇願。

 

しかも、当時付き合っていた彼女が通っていた予備校へ。理由はもちろん、彼女と同じ空間にいたいから。笑

お父さん、お母さん、ごめんなさい。そしてありがとうございます。

 

 

志望校はもちろん当時の彼女が目指す神戸大学。そして学部は理学部数学科。なぜなら比較的数学ができるから。

 

そんな状態で、予備校に入学し、思わぬ転機が訪れる。

 

ある日、予備校に登校すると、校長から呼び出され、

校長「お前、医者になりたいんやってな。

 

わたし「???」

 

校長「お前のお母ちゃんが言っとったぞ。」

 

そう、記憶はないが3歳のときの私はたしかに医者になりたいと言っていたらしい。

 

わたし「そ、そうですか。。。」

 

校長「志望校というのは、自分の成績と照らし合わせて、行けそうなところが志望校ではない。」

 

校長「本心で行きたいところが志望校や!!!ドンっ

 

わたし「は、はい。」

 

校長「大は小を兼ねる。医学部を目指しておけばとりあえずはどこでも合格できる。頑張れ。」

 

わたし「は、、、、はい。」

 

そんな感じで、医学部入学をめざし始めるのでありました。

 

 

決意からその後

 

 

医学部入学を目指したものの、実質は心此処に非ず。成績は300番台が目前に。彼女にも振られ意気消沈。

 

そんな時に、学校で医学部志望向けのインターンシップがありました。エセ医学部志望ですが、友達も行くからという軽い気持ちでこのインターンシップに参加しました。

 

インターンシップは3日間で、大学病院、県立病院、能登の病院を見学するものでした。

 

わたしが、興味をひかれたのは能登の穴水総合病院で出会った当時の院長の姿でした。地域の人々に信頼され、穴水の医療を担う姿はとても魅力的でした。

 

総合診療医に付いて知ったのもこの院長からです。当時はなんでもできる医者ってかっこいい程度にしか考えていませんでした。笑

 

このインターンシップを契機に火が付き、勉強に集中できるようになり1年浪人はしましたが、無事入学することができました。

 

 

結論

 

自分が果たして、医者になりたかったのかどうかは明確にはわからないです。

 

環境が私をそうさせたとも言えるかもしれません。

 

そう、何を言いたいかって、若い時は可塑性に富んでいてたくさんのことを吸収できます。

そして、今回は環境が良い影響をもたらした、、かもしれませんが、悪い影響をもたらす可能性も大いにあります。

 

こんな時に、魅力的な大人に出会え、挑戦を応援してもらえたことがラッキーだったのかもしれないですね。

 

 

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